宮崎県に住んでいた私が不登校になったのは中学生にあがった頃のことです。
もともとは東京生まれだったのですが父の転勤に伴って宮崎県に引っ越すことになり、それまでの友達と別れることになりました。
引っ越した先でなかなか馴染めず、新しい友達もできないまま小学校が終わり、中学生になっても状況を帰ることができませんでした。
今にして思えば引っ越しのタイミングもよくはなかったのでしょう。
小学校6年生での引っ越しでは行った先ですでに関係が出来上がっていましたし、改めて友達を作るきっかけもなかったのです。
引っ込み思案な性格も手伝って、中学に上がってすぐに私は学校に通えなくなってしまいました。
中学校の3年間は学校に行ったり行かなかったり、時には保健室登校を併用して過ごしました。
幸いなことに保健室に登校しても自分で勉強することはできたので、学習の遅れはそれほど酷くならずに済んだことだけは良かったと思っています。
困ったのは高校への進学です。
すでに人と関わることが怖くなって数年が経っていましたし、かといってこのまま就職することもできません。
両親からの強い勧めもあって、私は通信制高校に進学することを決めました。